ベースとなった事件

「冷たい熱帯魚」は1993年に実際に起こった埼玉愛犬家連続殺人事件をベースとした物語です。以下にその事件の概要をまとめます。

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埼玉愛犬家連続殺人事件

埼玉愛犬家連続殺人事件(さいたまあいけんかれんぞくさつじんじけん)とは、1993年(平成5年)に日本の埼玉県熊谷市周辺で発生した殺人事件のこと。マスコミ報道が先行した事件であり、被疑者の映像が連日映し出された上、完全犯罪を目論んだ残忍な結末が明らかになるなど異常性の高い事件であった。

概要

埼玉県熊谷市にある元夫婦XとYが経営するペットショップ「アフリカケンネル」は詐欺的な商売を繰り返しており、顧客らとの間でトラブルが絶えなかった。代表的なのが、「子犬が産まれたら高値で引き取る」と謳って、犬のつがいを法外な価格で販売し、子犬が店に持ち込まれると、難癖を付けて値切るというもの。トラブルの発生した顧客らを、知り合いの獣医から譲り受けた犬の殺処分用の硝酸ストリキニーネを用いて毒殺し、計4人が犠牲となった。遺体は店の役員山崎永幸方の風呂場でバラバラにされた上、骨はドラム缶で焼却された。それらは群馬県内の山林や川に遺棄され、「遺体なき殺人」と呼ばれた。経営する元夫婦XとYは、アラスカン・マラミュートのブリーダーとして名が知られていた。しかし、バブル崩壊後の売り上げの減少に加え、豪華な新犬舎兼自宅の建設などにより、借金がかさみ、店の経営に行き詰まった。

1994年(平成6年)1月、大阪愛犬家連続殺人事件の被疑者を逮捕。 本事件とは無関係であるが、埼玉でも同様に愛犬家が失踪しているとの噂が流れ始めた。2月からはマスコミが取り上げるようになり、事件が表面化。Xが身の 潔白を主張する一方、行方不明となった犠牲者の家族は事件性を訴え続けた。同年12月、山崎の証言を基に被害者の遺骨や遺留品を発見。1995年(平成7年)1月5日、XとYは逮捕された。物証がほとんど残されていないため、唯一一貫した供述をし、証拠の発見に協力した山崎の証言を元に、事件が立証されていった。しかし、山崎は検察官との間に密約があったことを、自身の公判で証言。約束を反故にされたとして、XとYの公判では証言拒否の構えを見せた。

XとYは公判で、互いに相手が主犯だと主張したが、浦和地裁(現:さいたま地裁)は検察側の主張を全面的に認め、元夫婦が対等の立場で共謀し、犯行に及んだと認定(1件はXの単独犯行と認定)。2001年(平成13年)3月21日、元夫婦に求刑どおり死刑判決を言い渡した。2005年(平成17年)7月11日、東京高裁は一審死刑判決を支持し、元夫婦の控訴を棄却。元夫婦は上告したが、2009年(平成21年)6月5日、最高裁は上告を棄却。1審・2審の死刑判決が確定した。

経過
  • 1993年(平成5年)4月20日 - 行田市の会社役員A(当時39歳)が勤務先から帰宅途中に失踪。(A事件)
  • 1993年7月21日 - 大里郡江南町(現:熊谷市)の暴力団幹部B(同51歳)と住み込みの運転手C(同21歳)が自宅から失踪。(B・C事件)
  • 1993年8月26日 - 行田市の主婦D(同54歳)が買い物に出掛けたまま失踪。(D事件)
  • 1994年(平成6年)2月中旬 - 大阪愛犬家連続殺人事件が大々的に報道される中、埼玉の連続失踪が発覚し、マスコミに取り上げられ始める。
  • 1994年12月13日 - 山崎の供述に基づき、群馬県利根郡片品村の山林からAの遺骨や遺留品を発見。
  • 1995年(平成7年)1月5日 - XとYをAに対する死体損壊・遺棄容疑で逮捕。8日には山崎も同容疑で逮捕。
  • 1995年1月~2月 - 片品村周辺の河川などで大規模な捜索を決行。被害者4人の遺骨や遺留品を順次発見。4月4日までに、Xら3人を全事件で起訴(X=3件4人の殺人罪、死体損壊・遺棄罪。Y=Dを除く2件3人の殺人罪、死体損壊・遺棄罪。山崎=3件4人の死体損壊・遺棄罪)。
  • 1995年4月~5月 - 1984年(昭和59年)の失踪事件で、江南町の荒川等を捜索するも、立件できず。
  • 1995年7月 - 浦和地裁で山崎(7日)、XとY(24日)の初公判がそれぞれ開かれる。
  • 1995年12月15日 - 山崎に懲役3年の実刑判決(求刑・懲役3年6月)。山崎は控訴。
  • 1996年(平成8年)6月7日 - 東京高裁が山崎の控訴を棄却。上告せず確定。
  • 2000年(平成12年)7月6日 - X・Yに死刑を求刑。
  • 2001年(平成13年)3月21日 - X・Yに死刑判決。両名とも控訴。
  • 2005年(平成17年)7月11日 - 東京高裁がX・Yの控訴を棄却。両名とも上告。
  • 2009年(平成21年)6月5日 - 最高裁がX・Yの上告を棄却。両名とも死刑が確定。

被告人夫婦ら

事件の首謀者とされる元夫婦は、共同でペットショップ「アフリカケンネル」を運営していた。

1983年(昭和58年)、Xが単独で経営していた「アフリカケンネル」を、Yが訪れたことから二人は知り合い、意気投合して結婚。Xにとっては7度目(うち3人と復縁しているので、配偶者としては実質4人目)、Yにとっては2度目の結婚であった。Yの実家が資産家で あることから、Xが財産目当てに結婚したとも言われている。その一方で、Yのブリーダーとしての成長ぶりや、金銭管理能力の高さから、XはYに対し一目置 いていた。互いに愛人がいたり、XがYやYの連れ子に対し、激しい暴力を振るっていたことはあったものの、それぞれの才覚を発揮しながらペットショップを 経営しており、互いに支え合っていたパートナーであったという。しかし、公判では罪をなすり合い、法廷では互いに目を合わせようとはしなかった。

「アフリカケンネル」の株式会社としての登記上の社長はYであるが、実質的な経営者はXであった。主にXが営業を、Yが経理を担当し、二人三脚で店を繁盛させており、一審判決ではその関係を「車の両輪」と評している。XとYは一連の事件前の1993年1月に協議離婚しているが、税務対策のための偽装離婚で、実際には以前と変わらぬ生活を送っていた。

Xが主犯でYが従犯と認識されることが多いが、A事件、B・C事件については、元夫婦が対等の立場で及んだ犯行と認定されている。

夫X

1942年(昭和17年)1月、埼玉県秩父市生まれ。「アフリカケンネル」の創業者で、実質的な経営者。ペットや猛獣の扱いにかけては天才的で、ブリーダーとしての腕は非常に優秀だった。シベリアン・ハスキーブームの仕掛け役、アラスカン・マラミュートの第一人者とまで言われた、業界の有名人。

かつては故郷の秩父市で、ペットショップや動物リース業を営んでいた。しかし、売った犬を盗んで別の客に売ったり、殺して新たな犬を売りつける等、当時から悪質な商売を繰り返していた。また、トラやライオンなどの猛獣も扱っており、近隣住民から恐れられ、嫌われていた。その後、付き合いのあった暴力団とのトラブルなどが原因で、一時期静岡県伊東市に姿を眩ますが、1982年(昭和57年)、埼玉県熊谷市で「アフリカケンネル」を開業した。

人間心理を読むことに長けており、ヤクザのような風体とは裏腹の、独特なユーモアと巧みな話術に引き込まれる人も多かった。その一方で、前述のようなあくどい商法や、顧客に対する脅し、暴力団関係者との交友などから、深い関わりを避ける同業者も多かった。また、虚言癖があり、自分が異端の経歴を持つ資産家であるよう装っていた。周囲の知人や店の客に対してばかりでなく、著名なブリーダーとして雑誌やテレビの取材を受けた際にも、同様の虚言を弄し、店の宣伝に大いに利用していた。ヤクザの金に手をつけた事情で左手の小指を詰めているため、左手の小指がない。

Xは殺人哲学として以下の5つをあげていた。

  1. 世の中のためにならない奴を殺す
  2. すぐに足がつくため、保険金目的では殺さない
  3. 欲張りな奴を殺す
  4. 血は流さないことが重要
  5. 死体(ボディ)を透明にすることが一番大事

特に最後の「ボディを透明にする」という手法が注目された(後述の#遺体なき殺人を参照)。

他にも、共犯の山崎によるとXは「殺しのオリンピックがあれば、俺は金メダル間違いなしだ。殺しのオリンピックは本物のオリンピックよ りずっと面白い」「そのうち、俺は殺しの世界で一番の男になりたいと思うようになった。人間なんでも一番にならなきゃ駄目だ。殺しにかけては俺がいまナン バーワン」「死体がなければただの行方不明だ。証拠があるなら出してみろ。俺に勝てる奴はどこにもいない」「最初は俺も怖かったが、要は慣れ。何でもそう だが、一番大事なのは経験を積むこと」「臭いの元は肉だ。そこで透明にする前に骨と肉をバラバラに切り離すことを思いついた」「骨を燃やすのにもコツがい る」などのコメントを残している。

普段は虚勢を張っている一方で、根は小心者で神経質という一面もあった。完全犯罪を目論んで完璧な証拠隠滅を図った犯行にも、その性格が現れている。逮捕されないことに絶対的自信を持っていた反面、常に怯えていたと、山崎は語っている。

妻Y

1957年(昭和32年)2月、熊谷市生まれ。「アフリカケンネル」の登記上の社長。寡黙だが、気が強い女性。いわゆるお嬢様育ちで、大の犬好き。Xと知り合うまでは真っ当な暮らしを送っていた女性であったとされ、保育士をしたり、土地家屋調査士であった父親を手伝うため、測量の勉強をしていたこともあった。若くして結婚し、実子を二人儲けたが、前夫とは離婚している。Xとの結婚後は、刺青を彫らされたという先妻らに対抗し、背中に龍の刺青を彫るなど、Xとの一体感を深めていった。ブリーダーとしても成長し、また、ドッグショーではXに代わってハンドラーを務めるなど、表舞台に立つことが多かった。

浪費の激しいXとは対照的に、金銭管理能力に優れていたことから、「アフリカケンネル」の経理を担当していた。Xの税金滞納から逃れるために偽装離婚をし、Xの代わりにYが形式的に社長に就任することになった。店の資金面の一切を掌握していたことから、金銭をめぐる一連の事件に深く関与していたとされる。中でもB・C事件では、殺人現場に同席したほか、遺体の解体にも携わり、手馴れた作業だったという。

逮捕後、比較的早い段階から自供を始めたXに対し、Yは黙秘をほぼ貫き通した。しかし、残された犬や家族の話題になると途端に涙ぐむという二面性を見せ、捜査員を困惑させたという。

山崎永幸

1956年(昭和31年)1月、富山県生まれ。ブルドッグのブリーダーであり、「アフリカケンネル」の役員。群馬県片品村で貨車を改造した住居(通称「ポッポハウス」)に住んでいた。ドッグショーの会場でXと知り合い、Xの経営哲学を学ぼうとして「アフリカケンネル」を訪れるうち、誘われて同社の役員となった。だが、実質はXの運転手や手伝いをしていたにすぎなかった。

A事件の際、Xから脅迫を受け、遺体を運搬したほか、自宅を遺体の解体場所として提供し、死体損壊・遺棄の犯行に加担した。自宅が山奥にあり周囲に 人家がなかったこと、妻(先妻)と離婚して一人で暮らしていたことなどから、犯行に適した場所だった。Xに怯えながらも、B・C事件、D事件でも同様に手 伝った。Xの脅迫に恐怖し、自身や家族に危害を加えるのを恐れたという。また、物証がほとんど残っておらず、仮に自首しても、Xの犯行が立証できるかどう か不安を抱いていたという。

捜査段階では事件の解明に全面的に協力していた。しかし、検察官との密約の存在を公判で証言。検察官が約束を反故にしたとして、Xらの裁判では証言拒否の構えを見せた。計算高く、功利的、自己保身的な性格と評されている。

懲役3年の実刑判決が確定し、服役。1998年(平成10年)8月28日に満期出所している。その後、実名で事件の顛末を記した本を出版した(後にペンネームを志麻永幸名義に変更)。

事件

A事件

行田市に住む産業廃棄物処理会社役員Aは、犬を買うために「アフリカケンネル」を訪れたことからXと知り合い、親交を深めるようになっていった。当時、兄が経営する会社が傾いていたことから、新商売を模索していたAは、Xが勧める犬の繁殖ビジネスを手掛けることになり、「アフリカケンネル」からローデシアン・リッジバック(en:Rhodesian Ridgeback)のつがいを計1100万円で購入、うちメス犬を入手した。ところが、知人から犬の相場が数十万円であることや、高齢で繁殖に適さないことを知らされ、Xに騙されたことに気づいた。また、メス犬が逃げ出し、繁殖が不可能になったことから、残るオス犬のキャンセルと代金の返還を求め、トラブルとなった。当時、「アフリカケンネル」は金銭的に窮しており、XとYはAに金は返せないと判断し、謀議の上、A殺害を決意した。

1993年4月20日夕方、「金を返す」と言って熊谷市内のガレージに呼び出したAと、大型ワゴン車内で談笑中に、Xが硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と偽って飲ませ、殺害した。その後、ガレージに戻ったに 対し、Xは遺体を見せつけた上、「お前もこうなりたいか?」「子どもは元気か?元気が何より」などと、山崎やその家族に危害を加えることを示唆して脅し、 片品村の山崎方に遺体を運び込ませた。Xはそのまま遺体の解体作業に取り掛かる一方、山崎に対しては、ガレージに残されたAの車を、都内に運ぶよう指示し た。

山崎は熊谷に戻った後、Yと合流して2台の車で東京へ向かい、Aの車を東京駅の八重洲地下駐車場に放置、Aが自ら失踪したかのように偽装した。この偽装工作の最中、Yは山崎に対し「うまくいったの?」「あんたさえ黙っていれば大丈夫」などと言い、事情を全て知っているような素振りであった。

熊谷でYと別れた後、再び山崎が片品に戻ると、既にAの遺体は解体されており、原型をとどめていなかった。21日早朝、Xの指示で骨や所持品をドラム缶で焼却。肉片などを川場村の薄根川に、焼いた骨灰や所持品を片品村の国有林に遺棄した。

一般に、一連の事件の動機は「犬の売買をめぐるトラブル」と言われるが、それが直接の動機になったのはこのA事件だけである。

B・C事件

江南町に住む稲川会系 暴力団の組長代行Bは、Xと親交を有し、「アフリカケンネル」で顧客とトラブルが発生した際に仲裁役を務めるなど、Xの用心棒的な存在であった。Aの失踪 後、Xに疑惑を向けたAの家族との会議に同席したことから、XがAを殺害したのではないかと察知し、Xに多額の金銭などを要求するようになった。やがて、 新犬舎の土地建物の権利証を要求されたXとYは、このままでは全財産を取られてしまうと危惧し、Bを殺害することを決意した。その際、Bと常に行動を共に している運転手のCも、口封じのために殺害しなければならないとの結論に達した。

1993年7月21日夜、X・Yは山崎の運転する車でB方を訪れた。XとYがB方に上がり、山崎はB方前に停めた車の中で待機していた。B方内で は、XとYがBの要求に応じる振りをし、権利証をBに渡して油断させた上、硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と偽ってBとCに飲ませた。Bは間も なく倒れたが、Cはしばらく薬効が現れなかったので、Xらは時間稼ぎのために「救急車を呼ぶ」と言って、Cを誘導のために表通りに走らせた。その後、XとYは山崎の車に乗り込み、さらに表通りにいたCを乗せ、「Bが女を呼んでいる」と言って山崎に車を出させた。江南町内の荒川堤防沿いの人けのない道路を走行中、突然助手席のCが苦しみだし、フロントガラスにひびが入るほど激しく苦悶した後、絶命した。

B方に戻ってBの遺体を車に積んだ後、3人は2台の車に分乗し、片品村の山崎方へ向かった。山崎方に運び込まれた遺体は、風呂場でB、Cの順に解体された。XとYが共同で解体し、山崎は包丁を研ぐなどして協力した。Xは山崎に解体作業を見せつけて脅し、また、Yは演歌を鼻歌交じりに歌いながら解体していたという。22日早朝、解体が終わると、Yは熊谷へ戻り、Xと山崎が骨や所持品の焼却に取り掛かった。肉片や骨灰などは、川場村の薄根川、片品村の塗川や片品川に遺棄した。

D事件

行田市に住む主婦Dは、次男が「アフリカケンネル」で働くようになったことからXと知り合い、親密な関係になった。しかし、新犬舎の建設や、Bの強請などにより、「アフリカケンネル」が経営難に陥っていたことから、Xは自分に信頼を寄せるDに「アフリカケンネル」の株主になるよう持ちかけ、出資金を詐取することを画策した。だが、いずれ株主話の嘘は露見し、そうなれば出資金ばかりでなく、過去に販売した犬の代金(アラスカン・マラミュート6匹、計900万円)の返還をも求められかねないことから、金を詐取した後でDを殺害することを決意した。また、Dとの交際を煩わしく思うようになっていたことも、動機の一つとされる。

1993年8月26日午後、Xは行田市内でDを車に乗せ、出資金の名目で、当時のD家のほぼ全財産である270万円を詐取した後、硝酸ストリキニーネ入りカプセルを服用させ殺害した。Dは最後までXを信じていたという。Xから(A事件と同じ熊谷市の)ガレージに呼び出された山崎は、後から車で現れたXにまたしても遺体を見せつけられ、迫られて遺体を片品村の自宅に運搬した。XはAらと同様にDを解体したが、山崎の著書によれば、その際Xは屍姦を行ったという。解体後は骨や所持品を焼却。27日未明、全て同村の塗川に遺棄した。

この事件では、全面自供した山崎にはDと面識がなく、遺体となったDと初めて対面した。そのため、山崎が被害者と面識があり、殺害の直前・直後に現場に居合わせたA事件、B・C事件と比較すると、立証が難しかった。また、Yが関与していた疑いは強いものの、山崎の目撃証言などからは立証できず、Xの単独犯行とされた。

遺体なき殺人

一連の事件で特筆されるのは、Xが「ボディを透明にする」と呼んだ残虐な遺体の処理方法である。被害者4人の遺体は山崎方の風呂場で解体された。 骨・皮・肉・内臓に分けられた上、肉などは数センチ四方に切断。骨はドラム缶で衣服や所持品と共に、灰になるまで焼却され、それらは全て山林や川に遺棄さ れた。Xは、遺体を埋めても骨は残ることから、焼却してしまうことを考案。しかし、遺体をそのまま焼くと異臭が発生するため、解体して骨のみを焼却したという。燃え残りが出ないよう、1本ずつじっくり焼くという念の入りようであった。

このことについて、山崎は、Xが『面白い・楽しい』と供述したと、話しており、快楽殺人ともとれる。

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